「ハッピーエンド」について

この小説を投稿してからだいぶ時間がたち今更感がありますが……ブログ一番上の投稿が辛気臭いのもあれなので、流すのも兼ねてここにメモをしておきます。
話の性質上死ネタ要素が濃い話になるので苦手な方は回避して下さいませ。

「ハッピーエンド」https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19579515

休日の朝、目覚めたら突然話が浮かび、慌ててベッドの中で(前半の那由多パートを)書き上げました。休日で良かった。
よくわからないのですが夢で見たとかじゃなくて、前半の那由多パートが起きた瞬間に浮かんだのでベッドの中でスマホで打ち込んで、朝の身支度してたら後半が出てきたのでそのまま後半も書いて、(朝食や身支度の時間入ってますが)合計6時間くらい?勢いで書きました。
頭から終わりまで一気に浮かんで書けたのは久々なのでとても嬉しかったです。
そこから細かいところをちまちま直したのが一週間くらいかな?映画公開前には間に合わなかった……

騙されることと信じることの差についてはサブテーマなので深追いしなかったのですが、そのあたりの話が映画に出てきてオオウとなりました。

説明するのも野暮ですが、最後はあのままなゆ爺は倒れてハッピーエンド、です。
後からまた那由多のさいごを一人にしてしまったと気付き反省しました。(「ルスキニア」もそうだったので)
でもこの話の那由多は、里塚いなくなった後残りわずかの体力で自分を大切にして生きるのは難しそうだし、ここで終わりにするのが一番優しいよなと……
里塚が那由多を大切にして、那由多はストレートに自分を大切にできないけど、里塚がいるからしょうがねえ、と迂回して自分を大切に、セルフケアができる。そういう話でした。

那由多は賢汰に言わせれば「野心がある天才」、つまり承認欲求「認めてもらうこと」が原動力のアーティストだけど、さいごのさいごは観客が誰もいなくても歌うだろう、そうあって欲しい。私の願いを入れました。映画を観てもその願いは変わりませんでした。
原作的にそういう属性はカラオケで1人で歌える蓮くんのことだと承知してますが、那由多の世界に伊龍も賢汰も誰もいなくても歌える、歌うのが好きだから。そうあって欲しいな、そこにたどり着いて欲しいなっていう願いです。

ついったーでこんなことを書いてたのですが、時間を置いたらこの「ハッピーエンド」が「納得のいった一作」だな!と感じました。
そういえばトレリドで納得がいったと話していた作品(「坂を登る」)も投稿した当時は「こんなネタ皆さんを不快にさせるかも知れない……これはありなのか? でもこれが私のトレリドなんだ……」という心境で投稿して、投稿後「もっとああすれば、こうすれば……努力が足りなかった……」と後悔タイムを経て「でもこれが一番気に入っているし、自分にとっての推しカプの最高さを書けたな!」と思ったような記憶があります。
人を選ぶ設定ですが、「これが私のけんなゆで、私にとってのけんなゆの最高さを抽出した話だ! 納得!」と思えるようになりました。そう思えたのは、感想をいただいて「あ、これをわかってくれる人が私以外にもいるんだ」と感じられたおかげな部分も大きいです。本当にありがとうございます。